早いものでもう4月も半ば。
さて、来月お囃子ライブvol.18が開催です♡
チラシも解禁となり数週間経ちました。
お席のご予約も着々と入っております。
皆様、ぜひお待ちしています♡
私は今回2部の【賎機帯】にのっています。
もしかしたら初めてかも?ってくらい、演奏会に自ら出すのは初になるかもしれないな。
芸大時代にお稽古してからはや数十年。
また40代になってからの視点でお稽古に望んでみます!!!
たまには解説を。三味線方、松永鉄九郎様のブログよりとてもわかりやすい解説がありましたので引用させて頂きます。
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【賎機帯】
本曲は、桜満開の隅田川を舞台にした、とあるひとりの母親のドラマです。
話の筋は謡曲「隅田川」に準拠しています。
人買いにさらわれた我が子・梅若を探して、京から遠く武蔵国・隅田川まで下ってきた母は、
渡し場の船頭の口から、梅若がすでに死んでいることを聞かされます。
(なんてこと…😭)
岸辺で行われている大念仏の法要は、梅若の一周忌の法要だったのです。(なんてこと…😭②)
長唄「賤機帯」は、この「隅田川」を元にした一中節の歌詞を利用してつくられています。
さらに、同じく子を探す物狂能である「桜川」を元にした河東節から、
狂女が桜を掬う趣向を採り入れ、狂おしくも美しい場面を描き出します。
物狂能は、愛する人と別れた悲しみから何かにとりつかれた状態になった人物をシテとします。
物狂の人は、愛する人と再会した時に正気を取り戻しますが、
「隅田川」のシテは、愛しい梅若と再びめぐり会うことはありません。
梅若の死を知り、悲しみにくれる母の眼前に現れた幻さえも、手を伸ばせばたちまち消えてしまいます。
長唄「賤機帯」は、この悲劇の結末を唄いません。
「隅田川」に基づく歌詞は、女が舞い狂う場面で終わり、
曲の終わりで唄われるのは、江戸の山王祭を祝う歌詞です。
これは、本曲が山王祭の附祭で初演されたことによるものですから、
「隅田川」の世界とは関連のない歌詞が付け足されたことになります。
しかし、祭を祝うめでたい歌詞は祭に浮き立つ人々の楽しげな喧騒を思わせ、
対照的に、やがて我が子の死を知ることになる母の哀れをより鮮明に描き出します。
長唄の歌詞には、しばしばこういった「歌詞の乖離」がありますが、それを「一貫しない」「筋が通らない」と否定するのではなく、その乖離も含めて全体をひとつの作品として鑑賞すると、新しい楽しみ方が見つかるのではないでしょうか。
同じ景色を眺めているのに、自分は他の人とまるで違うことを思っている、だから自分ひとりが、景色の中になじめずに浮かび上がっている気がする。そんな孤独があります。
川の両岸を彩る春景色、大念仏の音頭、江戸の繁栄を祝う祭、やがて来る夏の訪れ。
満ち足りた風景は、季節や時代を超えて続いていくのに、報われることのない母の愛だけは、どの景色にも溶け込むことができずに、
ただひとり、永遠に舞い続けるのです。
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なんとも。日本人の心を揺さぶる内容…
歌舞伎のお芝居もこういうパターン多いですね。
前回の【二人椀久】も愛する恋人を想いながら幻想的に踊る作品でした。
解説を読んで、興味持っていただけたら嬉しく思います😊